ユリアーモ体験記六日目 Sesa Tago

一体どこでボタンを掛け違えたのだろうか。いつも最上の選択をしてきたつもりだった。自分の善意に忠実に選択してきたはずだった。しかし、その終わり方はあまり晴れ晴れとしない。この心の中のわだかまりはなんなんだろうか。凜の表情は冴えない。心には影。しかし、もう戻れない。凜は大切なものを棄てる選択をしたのだから…

プレイ日記六日目にしてとうとう一つのエンディングを迎えた。しかしながら、何かが悪かったようで大円団とはならなかった。もしかしたら掛け違えたボタンは唯一間違えた「ボール」だったのかもしれない。あるいは体の部位の勉強で触りすぎてルカの好感度が下がるフラグが立ってしまったのかもしれない。色々思うところはあるが、ハッピーエンドを期待していた筆者にとって、しこりが残るエンディングを迎えたのは意外だった。凜と私は単なる道化に過ぎなかったのだろうか。

この結末を迎えて頭に浮かんだのは次の言葉だ。ハムレットの『マクベス』の有名な台詞である。散々努力した結果、エンディングでは予想していた結末と違っていた、という想いからだ。

消えろ、消えろ、つかの間の燈し火!
人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。
あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、
みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのとまりは消えてなくなる。
白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、
何の取りとめもありはせぬ。
(シェイクスピア、福田垣存訳『マクベス』新潮出版,1969)

ところで、エスペラント語ではどうなのだろうか。エスペラント語版は1908年にイギリスでダニエル・ヘンリー・ランバートというエスペランティストが初期の近代英語からエスペラント語へ翻訳している。彼は英国エスペラント協会を設立した初期メンバーの一人でもある。翻訳したものはグーテンベルク・プロジェクトで掲載されている。

Mallongviva
Kandelo, estingiĝu! Ĉar la homo
Promenas kvazaŭ moviĝanta ombro,
La rolon ludas de aktor’ mallerta,
Sur la scenej’ ne longe grimacanta,
Kaj poste malaperas. Homa vivo
Nur estas la rakont’ de malsaĝulo,
Freneze sensencaĵojn krieganta
Sen ritmo kaj sen celo.

そしてグーテンベルク・プロジェクトに載せられているシェイクスピア原文は下記の通りである:

Out, out, breefe Candle,
Life’s but a walking Shadow, a poore Player,
That struts and frets his houre vpon the Stage,
And then is heard no more. It is a Tale
Told by an Ideot, full of sound and fury
Signifying nothing.

ランバートがシェイクスピアをどれくらい研究したのか筆者は知らない。しかしながら、例えば日本語と英語を比較すると、日本語訳は英語原文をよく意識されていることが、例えば”out,out”の繰り返しなどから分かる。

一方でランバートのエスペラント語の翻訳はよく分析されているが、説明くさい。説明的な翻訳が目につくのである。例えば”Life’s but a walking Shadow(人生とは然し歩き回る影である)“という文はエスペラント語では、どういういわけか”Ĉar la homo promenas kvazaŭ moviĝanta ombro(何故なら人はあたかも動きまわる影の如く歩くからだ)”とされており、原文の暗喩の美しさが失われてしまっている。このセリフは劇の重要なセリフであるとともに、ニヒリズム的性格の思想が見え隠れする、作者シェイクスピアの人生観を表すものと考えられる。そのため、このランバートの訳の評価は厳しいのではないだろうか(想像だが、この人は劇場に足を運ばず、机の上で本だけを見て、初期英語の辞書を引きながら頑張って翻訳を進めたのかもしれない)。

しかしながら、文学の翻訳活動は初期のエスペラント語文学にとって重要なことだった。何故ならエスペラント語はその特質から、古英語の『ベーオウルフ』や日本の『古事記』のような民族を母体とした文学作品が発生し得ないからだ。従って、自分で作るしかない。

方法は二つ:一つはオリジナルを作ること。実際、初期(19世紀後期)のザメンホフを筆頭とした最初期のエスペランティストたちは、ザメンホフの最初のエスペラント語詩”Ho mia koro”のように、自分で詩作を行っていた。二つ目は上記で述べられてきた翻訳だ。例えばザメンホフはUnua libroの頃から『ハムレット』やハイネの詩、『聖書』の翻訳に精力的だった。世界の文学をエスペラント語に取り込むことにより、エスペラント語がより進化すると考えていたのかもしれない。

そのような流れの中でイギリスからランバートの『マクベス』が出てきたのであれば、エスペラント語の文学史として評価に値するものではないのだろうか。

最近ではありがたいことに『ことのはアムリラート』が話題に上ることが多く、二次創作小説も少しづつ増えてきた。日常的にエスペラント語(ただし、ユリアーモ文字だが)を見かけるようになったのは嬉しいことである。これは単純に「ことのは」ファンによる同人作品という一点で捉えることもできれば、エスペラント語をより進化させるための活動になるのではなかろうかと思案することもできる。そのような意味で、私たちはエスペラント語の歴史の最先端を歩んでいるのである。

さて、ハッピーエンディングはあるのか探さねばなるまい。やはり一線を越えず、プラトニックな関係を続ける選択をしてみようか。また冒険に出かけよう。凜をマクベスの言う”あわれな役者”にさせないために。

*ユリアーモ変換プログラムは夏野すぐる様に使用の許可を頂きました。感謝申し上げます。
*掲載許可はSukera Sparo様に頂いております。画像の著作権はSukera Sparo様に帰属致します。

 

(イベント/Okazaĵo)第25回ザメンホフ祭 en 東京

12月は毎年恒例で行われているザメンホフ祭(Zamenhofa Vespero)の時期です。
エスペラント語を作ったザメンホフ博士の誕生日(12月15日)を祝うため、各地で様々な催しが企画されます。上部の画像でわかるように、Googleですらこの日はロゴを変えて祝ってくれることもあります。

ザメンホフ博士の誕生日のお祝いといっても「博士万歳!エスペラント万歳!」を三唱するような偏ったイベントではありません。下記のようなゲームをして、参加者でエスペラント語を見聞きして楽しむだけのささやかなイベントです。

参加者は年度によって変わりますが、30~60人程度の規模です。
初めて参加する人は自己紹介コーナーで自己紹介していただきます(日/エスどちらでもOKです)。日本人だけでなく、エスペラント語をしゃべる外国人がふらっと参加していることもあります:
ポーランド、デンマーク、ドイツ、イスラエル、ベトナム、韓国等。

イベント内容については下記をご参照ください。お問い合わせや質問は弊団体ではなく、下部の問い合わせ先にお願い申し上げます。初めての方はJEJの案内を見た、と言っていただければお話がしやすくなると思います。

エスペラント語関係のイベントは全体的に玄人向けですが、ザメンホフ祭はその中でも初心者の人が参加しやすいイベントだと思います。あなたも気軽にサルートンしてみませんか?

第25回エスペラント祭のご案内
―Zamenhofa Vespero―

今年は、交通に便利な池袋で、利用開始したばかりの施設で開催します。
ぜひお出かけください。

日時:2017年12月3日(日)13:30-16:45
会場:IKE Biz としま産業振興プラザ 6階 多目的ホール
池袋駅 西口徒歩10分、南口徒歩7分
http://www.toshima-plaza.jp/

会費: 1000円、500円(学生、障がい者)
主催:都区内エスペラント会連絡会(池袋E会、新宿E会、杉並E会、調布E会、西日暮里Eクラブ、目黒E会、三鷹武蔵野E会、ロンド・コルノ)

主なプログラム(予定)

言語当てゲーム
日韓大会案内
新刊「木かげの家の小人たち」の紹介
コカリナ演奏+紙切り (池袋E会)
テーマ別懇談:
「エスペラントで話そう」「パソコン」「学習相談」「世界のことば」
などを予定
他に: 新人紹介, 本の紹介

問合せ先
電話03-3982-2243 (千葉俊介)
電子メール: tokunai@1.nifty.jp

 

画像転載元:
https://www.google.com/doodles/150th-birthday-of-ll-zamenhof

ユリアーモ体験記五日目 Kvina Tago


司書さんのレイさんが涙を流した。

ちょっとしたことで二人っきりでユリアーモを教えてもらうことになった。ルカとは違い、コミュニケーションが取れることが幸いし、物語がスムーズになったように感じる。恐らくそれは筆者だけでなく、圧倒的な文法の練習や単語の波に押し流され、溺死しようになっているプレイヤーの方々にも彼女のレクチャーは本当に貴重なものになっているに違いない(多分、もしレイルートがあるとしたならば、ここでルカからルートを乗り換えようとした人もいるだろう)。

そして、文法だけでなく、『ことのはアムリラート』の世界の全容が徐々に明らかになってきた。どのような世界なのか、レイさんは何者なのか、ユリアーモとはなんなのか、「エスペラント」とは何なのか。いろいろあるがここでは多くを語るまい。

そして、レイさんが泣いた理由。貴方がその理由を知るためには、鬼のようなレッスンを乗り越えるしかないのだ…!

あとゲームがどれくらい続くのかは分からない。ここで私たちができることはレイさんが教えてくれたユリアーモを一生懸命に復習し、バッドエンドに持ち込まないことしかないだろう。


例えばレイさんには不定詞を教わった。不定詞といえばありていに言うと辞書の見出しに載る動詞の形のことだ。英語の授業でももしかしたら”to 不定詞”というような名前で教わっているかもしれない。

オックスフォードから出ているP.H.Matthewsの『簡約言語学辞典(Concise Dictionary of Linguistics)』の説明部分の一番頭の部分にはこう書いてある:不定詞とは「他一方の動詞に従属する他の構造に置かれているか、あるいはある節で特徴的に用いられる”定まっていない”動詞の形のことである」とのこと。うーん、説明したいのか説明したくないのか。

なぜ「定まっていないこと」がこんなに強調されるのか?「不定詞」については次のように考えられる。第一に、エスペラント語の基となったヨーロッパの言葉の動詞と日本語の動詞との根底的な違いは、話し手の情報が動詞の形に含まれているのが大きな違いだと考える。例えばいわゆる「人称」、すなわち「誰がしゃべっているのか」や「その人は一人なのかたくさんいるのか」ということはヨーロッパの言葉の変化には強く影響するが、日本語でそれらについて動詞の形から読み取るのは難しい。すなわち、ヨーロッパの言葉の動詞にはそのような情報が組み込まれているのが当たり前なのである。一方で、いわゆる「不定詞」は形を見ても動詞であること以上の条件が全く読み取れない。どこの誰で何人が主語なのかパッと見て分からず、人についての情報が定まっていないように見える。このような観点からすると確かに「不定」な言葉と呼ばれるのも納得がいくのではないだろうか?

さて、レイさんが解説してくれるように、不定詞の一番大きな使用法は日本語でいう「〜すること」という意味に使うことだ。例えば:

Paroli“「しゃべること」

…というように。これに目的語もつけらえる。そして「〜は〜である」を意味する”estas”を組み合わせると、例えば次のようになる。

Paroli Juliamon estas interese*” 「ユリアーモをしゃべることは興味深い/おもしろい」

…となる。

二番目に、といっても一番目と同じくらい使用頻度は高いのだがいわゆる「補語」として使われることも多い。主語や目的語の補足説明のために置かれる単語のことである。例えば:

1.Mia hobio estas legi 「私の趣味は読むことだ」

さらに一番でも例文で触れられているが目的語もつなげられる:
2.Mia hobio estas legi libron 「私の趣味は読書/本を読むことだ」

上記の場合、主語について補完説明を行っていることが分かる。次は目的語の補語のパターンだ。

3.Mi vidis lin aĉeti videoludon “Kotonoha Amrilato”, kvankam li estas maljunulo.
「年配者にもかかわらず彼が『ことのはアムリラート』というゲームを買っているのを目撃した」

この場合は太線が”lin(彼を)”を説明していることが分かる。
このほかにもまだまだ不定詞については語らなければならないこと(目的語になることとか前置詞とくっつける等)があるのだが、今回は一旦筆を置こうと思う。しかしながら、不定詞を上手く扱えるようになればエスペラント語での表現力は大きく向上する。レイさんを攻略する前に不定詞をまず攻略するといいかもしれない。

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*修正致しました。「interesa→interese」。誤字失礼致しました。

Esperanto-muziko エスペラントの音楽

そもそもの問題になるが、エスペラント語はそれ独自の文化を持っていいのか、という疑問が筆者にはある。というのも、あくまで他の文化を理解するためだけのツールが独自の、他から離れた独自の文化を形成する、ということが矛盾しているように思えてしょうがないからだ。

とはいえ、エスペラント語のどこの国や民族にも属さない無籍国感、異質感、人工物感の魅力に抗えないアーティストはやはり存在している。例えば初音ミクのボーカルの歌詞の言葉として採用されることがあるのはぼちぼち知られていることだと思う。私は音楽に詳しくないので僭越だが、少し知っているエスペラント語のミュージシャンについて触れてみようと思う。

ロボットであるミクに人工言語であるエスペラント語で歌わせるというのは想像しやすいことだと思う。だが、実際に生身の人間がどれだけエスペラント語で歌を歌ったりしているのか。真面目にPVを作っているアマチュアではない人もいる。いや、この際アマやプロは関係なかろう。エスペラント音楽には「やったか、やらないか」しかないのではなかろうか。

例えばスウェーデンではこういう人がいる:Martin Wiese。彼はPersoneというエスペラント・ロックバンドでも活躍する建築家兼音楽家でもある。1986年からずっとPersoneで音楽活動に関わっている。例えば次に紹介するのがPersone。その次が彼のソロプロジェクトである。

また、エスペラントのレゲエ、といえば言及せざるを得ないのが、ドイツのJonny Mである。彼はどちらかといえばごく新しい方のアーティストに分類されるが、エスペラント語のヒットソングメイカーとしての実績を着実に積み上げている。

どのような実績の人かはよく分からないのだが、セネガルのラッパーの人もいるようだ。

さて、ここまで緩やかな音楽が多いかったように思う。ポップ、レゲエ、ヒップホップのようなオーガニックな音楽が多い、と思ったら大間違い。ブラジルにはエスペラント語を使ったヘビーメタルバンドもいる。BaRok’ Projektoというバンドだ。こういうのをメロディアスメタルというのだろうかそれともややドラマチックなのでシンフォニックメタルと呼んでいいのだろうか?その境界は筆者にはよくわからない。

個人的にははやくエスペラント語のブラックメタルが出てきてくれないかとも思うのだが、まだ時代が早すぎるのかもしれない。しかし、すごいこととしてはここまで紹介されたアーティスト(ミクを除き)全て違う国の人なのだ。文化も民族も言語も違う人たちが一つの言葉だけを使って、才能を発揮させているのはすごいことだと思う。さて、お気に入りの音楽は見つかりましたか?

ユリアーモ体験記四日目 Kvara Tago

 

さて、ついに四日目にして単純な疑問文が登場した。凜も「これは何ですか?」という質問に対して「これはXXですか?」という答え方を学んでいく。そのため、プレイヤーも野菜や料理の道具の名前を覚えなければならない。個人的にはエスペラント語を使って料理した経験が浅いので、調理器具の名前を幾分か勉強できたことに満足している。「ボール」でつまづいてしまったのは内緒の話だ。

なんで”Ĉu”を頭につけるのか?実はこの”ĉu”はけっこう奥深い。

まず英語と違いエスペラント語がなぜ”ĉu”を使うようになっているのかは明快だ。何故ならそれはポーランド語の構造を真似ているからと考えられるからだ。というのも、ザメンホフが1887年にエスペラント語の教科書を書いた言語の中でこのような構造を持つ言葉はポーランド語しかない。その上、ポーランド語はザメンホフの故郷ポーランドの言葉だ。この2点からその可能性は大きいと思われる。

さて、下記に主な使い方を対比させた。

■エスペラント語/ユリアーモ
Ĉu vi parolas en Juriamo?
(あなたはユリアーモを話しますか?)

■ポーランド語
Czy mówisz w juliamo?
(あなたはユリアーモを話しますか?)
*ポーランド語では動詞の形で誰が話しているかわかるので”vi”は省略されている

ただしかし、なぜザメンホフがこの重要な部分にポーランド語の構造を取り入れたのかはわからない。多少なりとも、自分の祖国の名残を残したかったのではないのか、と想像してしまう。

ところで、ポーランドを含めたバルト海の沿岸諸国の言葉は、いわば「Ĉu-文化圏」と言えるだろう。すなわち単純な疑問文には頭に何かしら、ĉuに相当する単語を置き、平常文か疑問文の区別をつける構造になっている。例えばウクライナ語は”чі”、エストニア語は”kas”のように(しかしながら、なぜかエスペラント語の改良版「イド」ではKa(d)になってしまっている)。

このように”ĉuは”単純にエスペラント語の疑問文のパーツであるだけでなく、見方によってはザメンホフの郷土性について論じる素材にもなり、またポーランドだけでなくヨーロッパのバルト諸国という地域を論じるためのヒントにもなるのだ。このような意味で”ĉu”はとても奥深い。

プレイヤーの方々にも是非、歴史の重みを込めながらエスペラント語/ユリアーモで質問してほしい。

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Duolinguoのエスペラント講座に100万人 Miliono por Esperanto en Duolinguo


(Duolinguoの英語版エスペラント語講座のトップページ)

エスペラント語はソーシャルネットワーク全盛の時代になり、返り咲きを始めている。

無料の語学学習アプリDuolinguoの英語版のエスペラント語講座に登録した人が100万に到達した。これだけの人数がエスペラント語を学んでいる、あるいはエスペラント語に触れようとしているという姿勢が視覚化されたのは初めてである。エスペラント語をよく使う人にとって、Duolinguoは参加者数がわかるということで、エスペラント語がどれだけ学ばれているかを計測するためのトレードマークになっている。

一般にエスペラント語というのはあまり知られていない。知っている人にあっても「エスペラント語は100年くらい前に出てきて、世界の人が同じ言葉をしゃべれればいいという計画だったと聞いたんだけど、結局成功しなかったんでしょ?(浅草にて知人のドイツ人から)」、「エスペラント語のことは知っているけれど、まだ生き残っているのかい?(モスクワからの夜行列車のコンパートメントで青年からの質問)」など、どちらかといえば「途絶えた」「失敗した」という認識を持っている。日本ではたまにおじいさんがエスペラントの旗に引き寄せられてやってきて「昔は勉強していたんだけどねェ…」と郷愁の心をのぞかせるぐらいである。

ネット上では大規模なネットワークがすでに形成されている。Duolingoにもフォーラムがあるし、Facebookでは毎日のように誰かが「サルートン」と言って質問やニュースを気軽に投稿している。ツイッターでもエスペラント語でツイートすれば世界の誰かが反応してくれる。そこでは例えば日本ではテレビで放映されているが、本当なのかどうかよくわからない出来事についても、現地の人からエスペラント語で聞くこともできる。このように現地情報収集にエスペラント語は非常に役立つ。旅行についてのアドバイスを旅行先の国の人から直接聞くこともできるのだ(運が良ければ泊めてもらうこともできるかもしれない)。

今はポーランドのアダム・ミツキェービチ大学では媒介言語学という名前でエスペラント語を遊びではなく、学術的に分析・研究する学部もある(エスペラント語で受験できるのは面白いと思う)。このような便利で簡単で、学術的な言葉を無料で学べるというのはすごい時代になったと思う。

あなたもその一員にならないか?

ユリアーモ体験記三日目 Tria Tago

「うわーっ、なんじゃこりゃーッ!」と思わず悲鳴をあげた。文字の練習の紙をちゃっちゃとめくっていたら、視界に大量の数字が書かれた紙を流し込まれた。数学が苦手だった著者の身としては目を覆う光景である。

しかしながら、幸いにもこれは私たちの世界でいう「エスペラント語」。覆った目から手を離しゆっくり文字を見てみると馴染みの言葉の数々が視界に入る。さっと見て、「わかる、わかるぞ」とまるでどこかの大佐のような気持ちになる。実は今の所、あんまりユリアーモ文字を見ていない(ごめんなさい)。振仮名をエスペラント語の知識で判別し進めている状態なのだ。しかしながら、文字を除き「本物のエスペラント語とは全然違うよ!」というような表現や言い回しは出てきていない。このため、数詞も全然苦にならず2~3分で数字のクイズを終わらせることができた。

ところで、エスペラント語は言うまでもなく人工言語であるが、その数はどこからやってきたのだろうか。そんな素朴な疑問から下記に一覧表を作ってみた。

左上にエスペラント語を配置し、左縦の行にエスペラント語の数詞を配置した。そして、右に向かって行に適当に選択したヨーロッパの代表的な言葉と申し訳程度のインド要素を並べた。そのそれぞれの縦列はそれぞれの言語でエスペラント語の数詞に対応する単語だ。黄色の文字はエスペラント語の数詞と視覚的に比較して、似ているものの値に色をつけている(あくまで主観によるものであり、学術的に配色しているわけではないことに注意)。

ここで特徴的なのが目で見てみるとほとんどラテン語とよく似ている、ということだ。有り体に言ってしまえば、ラテン語の数詞の前半分だけを取ってきたり(quīnque→quīn→kvin)、発音を多少変えたり(sex→ses)しているようにも見える。9に当たる”novem”も後ろがなくなれば”*nov”となり、かなりエスペラント語に雰囲気が近くなるだろう。数に関して言えば、ロマンス語の数詞がベースとなっていると考えたほうがいいのかもしれない。例えば田中克彦はBlanke Detlevの著書を引用してエスペラント語を構成する言葉の割合をロマンス諸語から75%としている(2)。

Blanke氏の統計を信じれば、エスペラント語の語彙の起源はすなわち大部分がラテン語やその子孫であるフランス語、イタリア語、スペイン語などが属する一群で占められていると考えられる。確かに例えばスペイン語からエスペラント語へのパラレル対訳などを行ったりすると、語彙がほぼ同じであったり、文の構造がとても似たものが出来上がる。それはときどき”自然すぎて”「どこか間違っているのではないのか」、「もっとエスペラント語的に訳すべきだったのか」と当惑するレベルである。

『ことのはアムリラート』のユリアーモの単語学習は遊ぶために必要だが、ゲーム内の学習プログラムは遊びではなく本気のものなので真面目に勉強するとエスペラント語で人生をもっと遊ぶことができるようになるだろう。筆者も真面目にユリアーモ文字の勉強をして『ことのはアムリラート』をちゃんと遊べるように努力したい。

ところで関係ない話だが凜に「念押し、連続、刷り込みだ!」と連呼されると『賭博破戒録カイジ』のカイジの声で「念押しッ…!連続ッ…!!刷り込みだッ…!!!」と頭の中で再生されるのは筆者だけなのだろうか?ザワザワ

引用:
(2)田中克彦『エスペラント 異端の言語』岩波新書,2007,77p. 3行-78p.1行

参考:
一覧表
1.岩崎務『CDエクスプレス ラテン語』白水社,2004

2.田中敏雄,町田和彦『CDエクスプレス ヒンディー語』白水社,2003

3.田中利光『新ギリシャ語入門』大修館書店,1994

ユリアーモ体験記二日目 Dua Tago

“あれ?『パルドーヌ』じゃなくて、『パルドーノン』なの?”というシーンに遭遇した。主人公、凛の何気ない疑問に見えるが、実はこの『パルドーノン』の『〜ン』はエスペラント語にとって大きな役割を果たしている。

このパルドーノンをエスペラント語で書くと”Pardonon”となるが、これは”pardono(許し)”という単語に”-n”がついた形となっている。これでエスペラント語では「ごめんね」という意味になる。

この”-n”は何かと言うと、文法用語では「対格」と呼ばれている。日本語でいうところの「〜を」に近い。エスペラント語では目的語を基本的に語尾に”-n”をつけるかつけないかで見分けているのだ。

例えば次のような文をエスペラント語で考えてみよう。

「私はりんごを食べる」

この文を訳すと下記のように書く人がいるかもしれない。

“Mi manĝas pomo”

これは実に惜しい。ルカのユリアーモの言葉でいうのならば「プレスカゥ トラーフェ(ほとんど正解だけど…)」であろうか。なぜかというと先ほど述べた”-n”が入っていないからだ。ノーマルに”-n”をつけるとしたら、次のようになる:

“Mi manĝas pomon”

これで一体何「を」食べるのか明らかにすることができた。ただし、つける場所を間違えてはいけない。例えばここで”min manĝas pomo”にすると「私をりんごが食べる」と何やらりんごに人間が捕食されている意味となり、ホラーになってしまう。

実際はこの”-n”には対格の他にも意味があるのだけれども、それはここでは言及しない。それが上記で「『〜を』に近い」と書いた理由なのである。

ところで”-n”は重要な存在であるが、ベテランのエスペランティストでもうっかり”-n”を付け忘れてしまうことがある。筆者もわりと頻繁に書き忘れてしまう。
エスペラント語から派生した別の人工言語群の一つにイドという言葉があるのだが、イドではこの語尾の”-n”は普通、使わないので、このようなミスばかりを繰り替えすと「お前はいつからイディストになったのか」と揶揄されるときもないわけではない(筆者の経験から)。

ヨーロッパの言語の多くは「格」と呼ばれる構造を持つ。言って見れば日本語の「てにをは」である。日本語は体言の最後に「てにをは」をつけるが、ドイツ語やロシア語、ザメンホフの故国のポーランド語は単語に「てにをは」をつけるのではなく、単語自体が変化して「てにをは」を表す構造になっている。
かつて筆者は日本エスペラント協会を訪れたウクライナ系スウェーデン人から、この”-n”のアイデアはドイツ語から借用されてきたと聞いたことがある。確かにドイツ語の定冠詞の男性形の対格、伝統的な文法でいうと「4格」は例えば”den”で、”-n”終わりである。

このように『ことのはアムリラート』にのユリアーモの語尾の「ン」は言葉として非常に大きな役割を果たす一方で、ヨーロッパの言語の長い歴史も共有している。

ところで、ゲーム本編の体験記としては初めて内容に触れる形となるけれども、それにしてはサムネイルがサービスシーンのようなところになっているのが読者の関心を引くのではなかろうか。気にしすぎるのはいいが、プレイヤーの皆さんにはそれと同じくらい”-n”にも注意を払っていただきたい。おそらく語尾に「〜ン」をつけるかつけないか、というようなクイズを出題される気がする。

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ユリアーモ体験記初日 Unua Tago

「ゲームを買うなんて久しぶり」なんて考えながら、パリパリとゲームの箱を保護しているビニールを破いた。今日、著者のDometoに発売されたばかりの『ことのはアムリラート』が届けられた。

我ながらに思うが、よもやこの歳になってからゲームを買うなんて思っていなかった。最後に買ったのはいつだったかよく覚えていない。ただ、ファミコン全盛だったころは手のひらにずっしりとのしかかるソフトの重さとパッケージの箱の綺麗さに未知なる冒険を想像し、空想の世界に旅立っていったものだった。
ところがゲームということは同じだが、大きく違うことがある。このゲームが子供の頃買っていたジャンとは打って変わって「純百合アドベンチャー」というジャンルに属していることだ。おそらく若き日の著者を知る人たちがそれを知ったら大変に誤解されるだろう。「この人は勉強のしすぎで頭がどうにかなってしまったに違いない」、「『魂斗羅スピリッツ』のやりすぎだ」と。

ここで、このゲームを買った言い訳をさせて欲しい。それはこのゲームで「エスペラント語」が使われているからだ、ということになる。
「エスペラント語」とは何だろうか。それは130年程前にポーランド出身のひげのおじいさんが設計した人工言語である。たくさんの言葉が話されていたビャウィストクという地方都市では言葉が違った民族のいさかいの種となっていた。そのおじさんは突飛なことを思いつく。

──自分で言葉を創って、それをみんなで話せば平和になるんじゃないのか?

その結果、できたのが「エスペラント」という言葉だった。エスペラントには「希望する者」という意味がある。ヨーロッパの主要な言葉をかけあわせてできた、英語のような例外ばかりではなくシンプルに、かつ人間の言葉のような意思疎通のための柔軟さを兼ね備えた言葉が出来上がったのだった。
それから130年の間、エスペラント語は世界史の影で活動し続けた。チャップリンの映画にも登場したし、新渡戸稲造からも大プッシュされたし、宮沢賢治の作品にもエスペラント語の影響を受けた表現がたくさん出て来る。『銀河鉄道の夜』なんか特に有名で、岩手をもじってエスペラント語化した「イーハトーヴォ」なる地名として登場している。1966年には『インキュバス』という全編エスペラント語というホラー映画も作られた。

そして先日の『ことのはアムリラート』に時代が到達する。このような歴史の上にこのゲームで使われる言語は存在しているのである。

「人工の言葉ってちゃんと人間同士の会話に使えるの?」という質問はよくある質問の一つだ。ベトナム人で東京で勤務するグエンさんはインタビューにこう答えている:

エスペラントのおかげで仕事関係以外の多くの友人に出会うことができ、日本にやってきた1年目から本当に充実した生活を送っています。…エスペラント語が、こんなふうに自分の世界を広げてくれるとはまったく予想していませんでした

(『通い合う地球のことば 国際語エスペラント』一般財団法人日本エスペラント協会, 2016,p.8)

また、youtubeなどではエスペラント語を勉強した人たちが自分たちがエスペラント語でしゃべってところを撮影し、アップロードしている。例えばアイルランドのダブリンでアイルランド人とロシア人がエスペラント語で会話する、というようなビデオもある。

このようにエスペラント語は人工の言語ではあるものの、立派に人と人とのコミュニケーションに役立てることができる。

ところで、もうあなたは『ことのはアムリラート』のソフトを買っただろうか?取扱説明書がついているのだが、簡単な文法書や単語集の役目を果たしており、ユリアーモ文字に慣れれば皆さんもエスペラント語の世界に簡単に足を踏み入れられる。そして、ゲームをクリアする頃には実際のエスペラント語の知識も身につく(はず)という、実学につながる側面をこのゲームは持っている。

ここで一つ。不定期にではあるが、ゲームのプレイ日記を投稿しようと考えているが注意点がいくつかある。それは下記の通りである:

1.ストーリーやキャラクターのかわいさなどには言及しない(はず)
2.どちらかというとゲーム内の文法がメイン
3.エスペラント語(や多文化)の視点からブログをつける

多くのプレイヤーの方々はルカとのコミュニケーションをどうしようかと頭を悩ませているに違いない。しかし、残念ながらゲームの中の凜と異なり、筆者はユリアーモでの会話に不自由していない。従って、グッドエンディングを迎えられるかどうかは別として、皆さんがよりよくエスペラント語/ユリアーモを楽しめるように影でこっそりとエスペラント語の補講をすることが最大の役目ではないかと捉えている。

このような姿勢の体験記兼ユリアーモの補講であるが、楽しんでいただけたら幸いだ。さきほど著者は次のようなユリアーモに遭遇した次第である:

──ボンヴォール エンヴェーニ(どうぞお入りください)

そして、こうも付け加えておこう:

──エン モンドン デ エスペラント(エスペラントの世界へ)
>2日目に行く

 

お茶の道の復活 Revigliĝo de Granda Tea Vojo

他の言語で何というのかわからないが、Internacia Turisma Asocio de Granda Tea Vojoという団体によると、中国、モンゴル、ロシア三国がシベリア経路で三国をまたぐ「お茶の道」を観光のために再開発することを決定したそうだ。

何故「お茶の道」というのだろうか?China Plusではかつて大量のお茶がこのシベリアルートを経由して中国からヨーロッパに輸入されたと説明している。

しかし一方、最新の研究では分からないが角山栄著『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』中央公論社新書(2011年10月30日が元の電子書籍)によれば:

…シルク・ロードによって中国とヨーロッパが結ばれていたから、茶はかなり早くからヨーロッパに知られていたのではないかと考えてもおかしくない。しかしいまのところ、茶がシルク・ロードをへてヨーロッパにもたらされた証拠はない(No.74/2681 3-5行目)」

…とされる。実は学術的な裏付けがあって、お茶がこのルートを使って運ばれてたと主張しているわけではないようだ。

さて、お茶のことはよく分からないが、エスペランティストは旅行好きな人も多い。実は大きな市場ではないけれど、エスペラント語をしゃべれる人の中にはエスペラント語を使った旅行のプランを計画したり、エスペラント語のガイドさんとしてつきそい、世界中からエスペランティストの自国訪問を誘致する人もいる。筆者が知る限りではそのような人が例えばイランやインド、ロシア、中国、キルギスなどにいる。国内旅行についてウズベキスタンの人とやりとりしたのは記憶に新しい。

このニュースが流れたのは旅行関係のニュースやイベントを取り扱うエスペラント語サイトLa Vojaĝoである。ここで言及されている中国内モンゴル観光発展評議会代表(la Komitato por evoluigo de turismo de ĉina Interna Mongolio*)のチェン・ジャンイン氏は「お茶の道」に沿って三国が観光ルートの整備に一緒に取り組むことに注目しているとのことだった。何故なら三国が共同で快適な旅を観光客に提供するならばインフラ整備やサービス、快適な旅のための条件を向上させるために、最高の可能性を用いるからだ、と同氏は言う。

モンゴルでもエスペラント語のイベントが開かれたことは耳にしている。もしかしたらエスペラント語のガイド、通訳付きでお茶を運んだと”主張されている”歴史的なこのルートを旅できる日が近いのかもしれない。

参考:La vojaĝo: http://vojagxo.info/cinio-rusio-kaj-mongolio-revivigas-grandan-tean-vojon/

*正確な邦訳については不明

Kvankam mi ne neniam aŭskultis kiel oni nomas, laŭ informo de Internacia Turisma Asocio de Granda Tea Vojo, Ĉinujo, Mongolujo, Rusujo dicidis disvolvigi “Tean Vojon”, la transsiberian kaj trilandan vojon.

Do kial oni nomas la vojon kiel “Tea Vojo”? China Plus diras, ke amasa teo estis historike importita el Ĉinujo al Eŭropo trasiberie.

Aliflanke, kvankam mi ne legis la plej novan historian esploradon, “Historio de Teo: Kulturo de Verda Teo kaj Societo de Nigra Teo” de CUNIJAMA Sakae klarigas:

“Estas konsekvenca kiam oni imagas, ke Ĉinujo kaj Eŭropo kontinuas tra Silka Vojo, tiel ke teo estis konata pli frue. Tamen, nuntempe ne estas evidenta pruvo klarigi, ke ĝi estis importita al Eŭropo trasilkvoje”

Do oni ne povas nun aserti, ke historia studo apogas, ke teo estiss portita fakte en tiu vojo.

Parenteze, estas ankaŭ esperantistoj, kiuj amas vojaĝon. Fakte ĝia marketo ne estas vere granda, ekzistas homoj, kiuj parolas Esperanton planas peresperantan kaj poresperantan turismon aŭ invitas alilandajn esperanto-parolantojn de aliaj landoj kaj akompanas gastojn kiel gvidanto. Laŭ mia sperto loĝas tielaj planistoj ekz. en Irano, Barato, Rusujo, Ĉinujo kaj Kirgizujo. La plej nove mi parolis pri tursma projekto kun homo en Uzbekujo.

La novaĵo pri Tea Vojo estis prezentita en “La Vojaĝo”, la esperanta retpaĝo, kiu tememas pri turismorilata novaĵo kaj evento. Cheng Jiangyin de La Komitato por evoluigo de turismo de ĉina Interna Mongolio notis: “turismaj strukturoj de Ĉinio, Rusio kaj Mongolio laboras kune en disvolviĝo de la turisma itinero laŭ la Granda Tea Vojo”. Ĉar “Tri landoj estas uzi plej bonajn turismajn eblecojn por plibonigi kvaliton de infrastrukturo kaj servoj, krei kondiĉojn por komfortaj vojaĝoj”.

Mi aŭskultis, ke en Mongolujo okazis Esperanto-evento. Eble la venonto iĝas proksima, kiam oni povas vojaĝi kun enesperanta gvidanto kaj interpretisto laŭ la historika Granda Tea Vojo, kiu estas asertata, ke ankaŭ amaso de teo vojaĝis…