Eksa JEJ-hejmpaĝo en Finon/ 旧JEJホームページ終了へ

皆様

いつも日本エスペラント青年連絡会のホームページにお越し頂き誠にありがとうございます。また日頃のご支援感謝申し上げます。

本日、旧日本エスペラント青年連絡会のホームページ(http://www.jej.jp)のサーバーとの契約が完全に切れ、完全に今ご覧いただいているホームページへ機能を移行することとなりました。今後ともエスペラント語を勉強したい学生の方々やクリエイティヴな発想を持つ青年をサポートできれば望外の限りでございます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

瀬下政也
JEJ 代表

—-
Karaj

Ni dankegas vin pro via kontribuado al nia E-movado kaj via vizito en nia hejmpaĝo.

Hodiaŭ kontrakto inter ni kaj eksa servilo, en kiu estas nia antaŭa hejmpaĝo(http://www.jej.jp) finiĝis, kaj informa platformo de Japana Esperanto-Junularo translokiĝas al tiu-ĉi hejmpaĝo.

Ni estus feliĉega, se ni povus daŭre helpi vin kaj kunlabori kun vi por disvastigi intereson de lernantoj kaj studentoj, kiuj volas lerni Esperanton aŭ junuloj havantaj kreemajn ideojn per ĝi kaj per tiu-ĉi nova komencejo ĵus kiel anstaŭe.

Amike

SEŜIMO Masaja
Prezidanto de JEJ

講習+ストックホルムEクラブとのSkype会

サルートン!

11月19日(日)に講習+ストックホルムのエスペラントクラブとのSkype会をしますのでお知らせします。

  1. 15時からJEI会館(早稲田駅近く)の4階にて担当者が初心者講習or学習会を開きます。内容は来た人に応じますが、初心者の方も簡単な自己紹介と挨拶が出来るくらいまで講習します。18時頃まで勉強したらご飯を食べに行きます。
  2. 18時半からは場所を移してSOJO(エスペランティストのカフェで同じく早稲田駅近く)にて交流会を開きます。特に20時からはストックホルムのエスペラントクラブとSkypeを繫いで、お互いに簡単なエスペラントで自己紹介と談話をします。Lingva Duŝo(言葉のシャワー)と、向こうのクラブでは呼んでいるそうですが、要するに実践を通してエスペラントをより身につけようという企画です。

諸注意(2の交流会について)

  • 会は18時半からですが、途中参加もオーケーです。
  • ごはんは付きませんので夕ご飯は食べてきてください(持込不可)
  • ワンドリンクオーダー制なのでご了承ください。

参加したい方は以下のメールアドレスに連絡をください(事前告知なしの参加でもいいです)。
jej.estraro@gmail.com
(JEJ:日本青年エスペラント連絡会では随時会員を募集中!)

場所案内

日本エスペラント協会

SOJO

ユリアーモ体験記九日目 Naŭa Tago

最近のことになるが、エスペラント語検定に挑戦する猛者が増えているらしい。これは恐らく、『ことのはアムリラート』で学習意欲(という名の欲望)に火のついたヴィジタント達がエスペラント業界に参列してきているからだと思われる。

ところで、実際のところ『ことのはアムリラート』でプレイして検定合格できるのだろうか。検定経験者のSによれば「ゲーム単体だけの知識では難しい。”攻略本”を読み込んでおく必要がある」とのことだった。下記が代表的な所謂「攻略本」である(*あくまで通称でありSukera Sparo様から出版されている正式な攻略本ではないことに注意!)

さて、なぜゲームだけでは検定は攻略できないのだろうか?答えは至極単純だ:ゲーム自体がエスペラント語の学習目的のために作られていないから、である。実際、これでおよそ9日のプレイ日記を書き溜めてきたが、ゲーム中に全ての文法が説明されているわけではないということがわかってきた。しかし、それに何の問題があろうか?我々プレイヤーの目標はいかにルカを籠絡するか(と信じている)であり、検定試験が目的ではないことを思い出して欲しい。

一方で事実、勉強モードがなく、ゲームの中でちょこっとだけ顔を出している文法がある。それを身につけるとエスペラント語の語彙力は爆発的にあがり、勉強が楽しくなることは間違いない(ただ強調しておくがゲームプレイにはあまり役に立たない)。加えて、二次創作などにも役立てられる。そのような文法事項はいろいろあるのだが、今回特に触れておきたいのは下記の文法だ。

それは「分詞」である。実は劇中で「あるよあるよ、ありえないって!X( 」と凜が大量の接尾辞に悶絶するシーンがあるが、実はその接尾辞の山の中に「分詞」が紛れているのである。

実はこのシーンで上げられている多くの接尾辞は、基本、名詞につくものがほとんどだ。実際その一つの使い方はすでに序盤でルカに無理やり(?)習わされている。「パネーヨ(pan-ejo)」のところと言えばわかっていただけるだろうか?

この”-ej-“というのはどうやらドイツ語の”-ei”という接尾辞が元になっているらしい。例えばドイツ語で「パン職人」は”Bäcker”であるが「パン屋(パンを焼き、製造する場所)」となるとこれに”-ei”がついた”Bäckerei”となる。

エスペラント語にはまだまだ、この”-ej-“以外にも様々な接尾辞がある。その中には「動詞」にくっついて、形や意味を変える接尾辞が少しある。これが前述した「分詞」である。これには色々な使い道があるが、例えば名詞を表す”-o”と組み合わせて「〜する人/もの」という意味の名詞を作れる。

代表的な分詞を用いた単語はやはり:

vizitanto

…になるだろう。この名詞は”vizit-“という動詞の後ろに”-ant-“という語尾をくっつけて作られている。”viziti”は「訪問する」「訪れる」という意味なので、これに現在形の「〜をする」という分詞”-ant”と名詞を表す”-o”が組み合わさっているのである。改めて組み合わせを書くと次のようになる:

vizit/ant/o

…となる。この時間の表現は動詞の語尾と同じで、”-ant-“の”a”を他の母音に交換すればいい。とても簡単だ。”vizit-“の例の一覧を作ると、次のようになる。


vizit-ant-o 

現在 「訪れる人、訪問する人、訪問者(アムリラート用語)」

 
vizit-int-o

過去 「訪れた人、訪問してきた人」

 
vizit-ont-o

未来 「訪問してくる人、訪問するつもりの人」

さらにこの仲間には受動「〜られる、〜される」という意味をしめす分詞”-at-“,”-it-“、それから”-ot-“がいる。そして、さらにそれらの語尾を名詞の”-o”ではなく形容詞の”-a”や副詞の”-e”に変えると…?これから先は初級終盤、中級レベルになると思うのでここで止めておく。

いずれにしても分詞を覚えると、このように表現がグッと広がるのだ。レベルが上がると分詞を使って接続詞を省略したり、関係代名詞を省略したりと、よりハイレベルで文学的な表現が可能となる。これであなたもエスペラント語の世界へのヴィジトントになったと思う。

ゲームのエンディングももちろんのこと、文法の学習も一気に進めたいと思いませんか?

画像の著作権はSukera Sparo様に帰属致します。

(イベント/Okazaĵo)アムリラート座談会~エスペラント×ユリアーモ~2

ユリアーモの異世界を飛び越えて、現実世界でエスペラント語を体験してみよう!
エスペラント語を使ってユリアーモの異世界に入り込んでみよう!
異世界と現実世界との奇妙な会合!

『アムリラート座談会~エスペラント×ユリアーモ~』の参加者募集が始まりました!参加希望者の受付は、下記リンクのSukera Sparo様の公式ホームページで行っています。

参加フォームへ

記入例:

(Raporto)Global Festa en Odajba

Global Festa Japan 2017のお手伝いを致しました。イベントの来場者数は12万人に達し、2日にエスペラント語ブースを訪れてくれた人は100人を超えました。エスペラント語をこんなにも勉強しに来てくれてありがとうございます!

初日はミニ講座「エスペラント語ってなんだろう」をJEJが担当し、2日目はマダガスカルからのゲストがエスペラント語で自分の国やその文化について話す講座がありました。

エスペラント語を勉強して、是非あなたも言葉を気にしない国際交流、新感覚コミュニケーションを体験してください!

Ni helpis Esperanto-standon okazigitan en Global Festa Japan 2017 en Odajbo, Tokio. Sumo de vizitintoj por la evento atingis 120 mil. kaj niaj vizitintoj nombris supre 100. Ni dankas vin elkore lerni Eon tiel multe!

En la unua tago, JEJ havis publikan lecionon “Kio estas Esperanto(Espreanto-go tte Nandarou)?”, kaj en la dua tago gasto el Magadaskaro donis prelegon al vizitintoj pri sia lando kaj kulturo.

B.v. lerni Esperanton kaj spertu internacian interŝanĝadon sen lingva muro kaj novsensan komunikadon!

ユリアーモ体験記八日目 Oka Tago


『ことのはアムリラート』と「語学」をかける。その心は何だろう?

再度容赦ないユリアーモの授業が開始された。再び数字や基本的な挨拶などの予習を行い、一般的な会話を想定した定型文句の勉強も終えた。

実は一週目のころは見てもユリアーモの文面を見てもなぜそういうのかが理解できず、「何かあるんだろうな」程度の認識しかできなかったところがあった。そして、二週目にしてそのような疑問が氷解したところがあった。しかもそれはエスペラント語/ユリアーモにある程度の知識がないとわからない点ではないかと思うので、まずこれをプレイしながら紹介したい。次に、一週目に凜がおもしろいところに着目していたので、通りかかった縁でこちらもクローズアップしたい。

レイがなぜ冠詞をつけていたのか

まず”Administracio por Vizitantoj” すなわち、日本語では『ヴィジタント管理局』とでも言えばいいのだろうか?そこにお勤めしているレイさんのセリフ。恐らく一週目では大抵は何を言っているか本当に分からず、「??」な状態になるかと思う。個人的に着目していただきたいのは、ここで”La fama fraŭlino”とあるように凜のことを定冠詞付きで「あの有名な女の子」と呼んでいることだ。

定冠詞は往々にして、くっついた言葉を限定させる機能がある。劇中では確か「あの」というように訳されていたと思う。そして上でも「あの」を使って訳したが実は冠詞ワールドは奥が深く、どんな言語であろうとも「あの」と直訳で覚えることはオススメしない、というのが個人の考えである。冠詞はかなり奥深い。例えばドイツ語学者の関口在男という人は冠詞についての本を三巻編成で出版しており、冠詞の研究だけなのに総ページ数は二千ページを超えてしまう。それぐらいこの要素は複雑だと推察できよう。逆にこの定冠詞の深さを少しでも知ることにより「あの」という平坦な理解だけはない、奥深いレイさんの言葉の意味を知ることができるようになる。

冠詞抜きはストーリーを崩壊させる?

例えばここでもし冠詞がないとどういうことになるか想像できるだろうか?まず第一にここで重要なのが、凜を説明するために”la”が必要となる、ということだ。いわゆる「同格表現」というもので、「次に来る名詞を説明しているんですよ。次の名詞を確認してね!」というマークとして冠詞が使われるパターンである。例えばここでは「あの凛という有名な女の子」という文でいう「あの〜という」に相当する機能を果たしている。従って、ここでもし冠詞がなかったら、「この世界には凛という名前の名の知られた少女が複数いて、その中の一人かどうかをレイさんが確認した」というような形になるかもしれない。細かく言えば、凛という名詞が例えば「犬」や「車」のような一般名詞になってしまったように感じるかもしれない。そのため、文法的に意味がストーリーにそぐわなくなり意味がおかしくなるだろう。

第二に”la”の限定性について。冠詞がない名詞は多かれ少なかれ、情報が今まで出たことがないと考えられる可能性が出てくる。あるいは世の中にあるすべての中から何でもいいからそのうちの一つ、という無作為さがあると考えられる。従って、そうではないということはこの時点ですでに、レイが凜について心の中で”fama”かつ限定された情報になるまで聞かされている、ということが暗示されている。

さて、これは一体どういうことかというと…というのはストーリーを進めればよく分かるようになるので、ここでは敢えて言わない。愛の力(?)は恐ろしいものだ。いずれにせよ、ここで”la”が有る無しはこのシーンの深みとストーリーの時間的な長さに大きな影響を与えていると言える。

「大地の果実」のおはなし

ところで、語学で自分の知っている言葉の概念とまったく違う表現に遭遇すると思わず「えっ!」と驚いてしまうことがある。凜の場合はどうやら「ジャガイモ(terpomo)」だったようだ。

この単語を直訳すると「大地のりんご」となる。恐らくフランス語を勉強したことがある人はこの組み合わせを見て「さてはフランス語の”pomme de terre”から借用したな」と考えることだろう。フランス語も「大地のりんご」という意味の単語を使うからだ。そして、ザメンホフが書いた教科書の言葉の一つがフランス語であったことから、その推測は間違ってはいないだろうと考える。

ただ、ここでこの「大地のりんご」とは日本語でいう、すなわち「ジャガイモ」のことである、という理解を示すのはフランス語だけではない、ということはご記憶されたい。実は筆者が知っている範囲でいうと、現在の西欧には南アメリカのナワトル語由来の”potato”のように呼ぶ表現もあれば、「大地のりんご」パターンもあるし、第三には「大地の梨」のように呼ぶパターンもある第四にはドイツ語の”Kartoffel”みたいな変形パターンもある(こっちはキノコと関係する:キノコ系)。例えば二番目の表現に関して言えばフランス語だけでなく、オランダ語やドイツ語の方言でも「大地のりんご」という単語を使うことがある、ということは言語の歴史としても教養としても重要だと思う。

筆者はラテン語学者ではないので正確には言えないが、そもそもWikipediaを確認すると、ラテン語でも複数の呼び方が見られる。例えば”pomum”や”patata(新ラテン語?)”、それから”pomum terrestre”である。後者は形を見ればわかるように「大地のりんご」系である。

実はジャガイモがヨーロッパに現れるのは16~17世紀(1)なので、“potato”という単語は比較的新しい部類に入るのではないかと思う。例えばヨーロッパの中でも断トツの古さを誇るアイスランド語(千年くらい言葉の形がほぼ変わっていない)でもWikipediaによれば「大地のりんご( jarðepli)」、ないしはドイツ語の仲間の”kartafla”を使っている。従って、歴史的に古いのは恐らく「大地のりんご系」と「きのこ系」なのではないかと推測する。

りんごは「くだもの」

実は重要な点として、そもそもラテン語の”pomum”はりんごではなく「くだもの」という意味だったことが挙げられる。それが時が経つにつれ、「りんご」の意味に限定されていったと考えられる。一方で例えばヨーロッパとイスラム圏の狭間に位置するアルバニア語では、”pomum”に連なる単語”pemë”を「木」という意味に使っているようだ。このことから欧州太古の「くだもの」は文化圏ごと、言語ごとに異なった変化を遂げていったと言える。

冤罪のはじまり

それでは「りんご」そのものはラテン語では何といったのかというと古代ローマ世界では”malum”と言っていたようだ。この単語の頭の”mal-“はピンと来る方もいると思うが、ユリアーモ/エスペラント語の”mal-“とも関係している。
実はヨーロッパの文化史においてこのくだものは最上級の冤罪をなすりつけられていると言えるだろう。聖書の有名な逸話で「アダムとイヴが禁断の果実を食べる」というシーンがあるのだが、挿絵や絵画では禁断の果実をりんごとして描写していることがある。実はラテン語では少なくとも「りんごを食べた」とは書かれていない。例えば

de ligno autem scientiae boni et mali (然して善悪の知識の木から)”

というように書かれているが、りんごのことではない。誰が言出屁かはわからないが、この”mali(悪の)”という単語を「りんご」が変化した「りんごの」という形の単語と勘違いし、誤訳したことから欧州の文化に「禁断の果実=りんご」という認識が広まったとされる。まさに冤罪である。

りんごは「めろん」?

ちなみに文献不明のWiktionaryにて語られている話をまとめると、”malum”をさらに遡ると古代のギリシャ語の”μῆλον(くだもの)”と関係があるとされる。どうもこれはメロンの語源とも関係しているだけでなく、この単語が例えばヒッタイト語の”mahla(ぶどう)”とも関連していることから、どうやら欧州の「りんご」はギリシャ語という言葉が成立する前の古代の地中海世界の起源ではないかと考えられるらしい。とても壮大な話になる。できたら古典ギリシャ語語源辞典が欲しいところだ。

語学は禁断の果実?

『ことのはアムリラート』と「語学」をかけて、その心はなにかと問われれば「禁断の果実」かもしれない。

Twitter上で確認できるが、『ことのはアムリラート』をプレイしたことによりユリアーモからエスペラント語自体にも興味を持っていただいた方もちらほらと見られる。人によってはガチでエスペラント語を勉強した上でユリアーモで二次小説を書いてしまうつわものもいらっしゃるようだ。上記でお話を書いてきたように本当に好きな人はずるずるとその世界にはまり込んでしまう。また、同時に熱心なプレーヤーの方がルカを籠絡したいと思うのであれば、否が応でもユリアーモを学ばないといけない。両方ともある意味ではかじったら最後、とことんやらないといけない禁断の果実ルートなのである。

聖書で禁断の実を食べたアダムとイヴは追放という楽しい終わり方を迎えなかった。筆者も一週目ではネット上で語られるいわゆる「ブランコED」で、非常に心が晴れない終わり方を迎えた。そのため、二週目ではより幸せなエンディングを迎えられたらいいと願ってやまない。そのため、現在は再度レイさんからもらった不定詞の勉強を黙々とこなしている。

というか、レイさんルートはあるのだろうか?
黙々。

画像の著作権はSukera Sparo様に帰属致します。

(1)伊藤章治『ジャガイモの世界史』中公新書(2008)

(イベント/Okazaĵo)グローバルフェスタ en Odajba

グローバルフェスタJapan2017 9/30-10/1 お台場にて

日本エスペラント協会ブース(ブルーエリアB18) では、随時
「エスペラント語5分講座」をやっております。お気軽にお立ち寄りください。

>公式ホームページ:2016年度の様子
10月1日(日) 14:00—14:30/ 活動報告コーナー Eでは以下の小講演を行います。



「マダガスカルの歴史・文化・教育ーー
茨城大学留学生 Fafah が語る夢と希望」
(エスペラント語/ 日本語通訳付)
2017年3月に、マダガスカルから留学生として来日したFafah。彼女は、母国に夫と幼いお子さん2人を残して日本への留学を決意しました。
大学での勉強の傍ら、国際語エスペラントを通じて、日本人や日本に住む外国人との幅広いネットワークも持つ彼女は、マダガスカルの魅力や、教育にかける熱い思いを各地で語ってきました。

このグローバルフェスタでも、そんなエネルギッシュなFafahの話をエスペラントを通じた活動報告の一環として、多くの方々にお届けしたいと思います。
http://gfjapan2017.jp/outline.html

 

ユリアーモ体験記七日目 Sepa Tago

ユリアーモの文字にも慣れてきた。さすがに二周目だからか文字にも抵抗がさほどなくなり、以前よりも軽快に読み解けるようになった。凜がユリアーモの文字を多少、和製人工言語「ボアーボム」のように読んでも驚かない。まさに強くてニューゲームの状態といえよう。

ユリアーモとエスペラント語の違い

一週目が終わりエスペラント語をかじっている人間として、このゲームの中で使われている「ユリアーモ」についておおよそわかったことがある。エスペラント語と比べて、ユリアーモがどれほどエスペラント語と離れているのか、というは理解できた。完全に攻略してはいないので、今のところ得られた感覚にとどめるが、おおよそ下記の通りだと思われる。

1)エスペラント語とユリアーモは「ほぼ」同じ;
文法や発音規則などは一緒
2)それぞれお互いに独自の文字を使っている
3)一部エスペラント語と違う意味で用いる単語がある;
それは大抵「ことのはアムリラート」の専門用語である

特に冒頭で言及したように、文字の違いは言葉の理解に大きな影響を与えており、エスペランティストであってもユリアーモの読解には幾らかの時間が必要であろう。この差を埋めるために、Sukera Sparo様がホームページで公開しているフォントのzipについてくる資料が役に立つ。

エスペラント語のプロトタイプ時代

そもそも、エスペラント語の文字はもともと、今のユリアーモに綺麗に対応できる形で誕生したわけではなかった。実はエスペラント語には「プラエスペラント」と呼ばれている時代がある。それは専ら、エスペラント語が生まれた1887年以前を指す。

その時代の頃の綴りはどういうものだったかというと、現在のエスペラント語とはあまり似ていない。例えば1881年のザメンホフのプロトタイプの人工言語にはdźやśのようなポーランド語のアルファベットが使われており、現在のエスペラント語とはかけ離れている。また、エスペラント語版のプラエスペラント語のページによれば、その当時人工言語業界に一斉を風靡していたヴォラピュクの影響があると見られる上に、ロシア語やポーランド語といったスラヴ語系の要素が今よりも一層強かったようだ(1)。今のエスペラント語はなかなかに難産であったことが伺える。

ヨーロッパ諸言語の綴りの「バベル性」

ところで、現在のエスペラント語はといえば、プラエスペラント時代と比較すれば分かる通り、”「一音一字」になっている(2)”。が、よく見てみるとエスペラント語は見慣れない独自のアルファベットを採用している。疑問に思われたことがある人もいるかもしれないが、なぜ英語と同じようなアルファベットを採用しないのだろうか。ザメンホフがこの点について言及した資料は知らない。しかし、大方次のような理由だと予想できる:同じ文字を使うヨーロッパの諸言語ですら文字とそれに対応する発音が言語間で一致していないからだ。

例えば英語の”w”はエスペラント語の”ŭ”に相当するが、ドイツ語やポーランド語では”w”はエスペラント語でいう”v”の音を表すことが普通だ。また英語のアルファベットの”j”はドイツ語であれば英語の”y”の音になるし、スペイン語で”j”はエスペラント語でいう”ĥ”の音を表す。またドイツ語の”u”に相当するフランス語のアルファベットは”ou”であるように、言語によっては一つの音を表すために複数のアルファベットを組み合わせているケースもある。このようにヨーロッパの中ですらバベルの如く、文字と発音は言葉によって違っているのである。それならば多少の記号をつけてもいいから、「一音に集約して、これは絶対にこの音を表す!」と決めてしまった方が効率的と思えないだろうか?

今でこそ飛行機やインターネットが発達してしまっているので、エスペラント語の使用者として世界のあらゆる言葉とその民族を意識した場合、「本当に中立な言葉なのか?」と疑われてしまうのは仕方がないと思う。しかし、130年前のヨーロッパだけという言語環境を考えると、エスペラント語というのはそれなりに良くデザインされた言葉、と考えられないだろうか。

プレイに戻って

「ユリアーモ」がなぜそういう名前なのか、ということもストーリーでは語られていた。しかし、それは個人でのプレイ中に楽しんでいただく内容なのでここでは控えよう。以前と比べて、看板の文字がユリアーモで書かれていてもどぎまぎすることは減ったのだから、より一層「ことのはアムリラート」の世界に没入できることを期待したい。

(1)Pra-Esperanto https://eo.wikipedia.org/wiki/Pra-Esperanto#cite_note-CK-1
(2)藤巻謙一(2012)『改訂版 まるごとエスペラント文法』日本エスペラント協会

画像の著作権はSukera Sparo様に帰属致します。

 

 

Like a Native Kiel Denaskulo

ノートにかりかりと書きためたオリジナルの言葉のアイデアが、いつか誰かの母語になるなんてことを、クリエイターが考えたことはあったのだろうか。

エスペラント語は当初、誰しもの第二言語として、文化間、民族間の橋渡し言語としてデザインされた。しかしながら、その一方で世界にはその言葉を第一言語としてしゃべる人が存在している。エスペラント業界ではそのような人たちを”Denaska Esperantisto(生まれながらのエスペランティスト)”と呼んでいる。Youtubeではそのような人たちの生活を垣間見ることができるショートームービーがある:

ウィキペディアのエスペラント語版の中には、ある一定の知名度を誇る人たちだけだと思うが、「生まれながらのエスペランティストのリスト」なるページも存在している。

──エスペラント語の第一言語としての発展は歓迎されるべきか?

このテーマはしばしばエスペランティストたちの議論の対象になる。第一言語として使える人が生まれるということは、エスペラント語が「言語として」より完成していることの証明であると喜ぶ人もいるだろうし、母語話者の存在はエスペラント語の中立性を阻害していると眉をひそめる人もいるだろう。

ただやはり一番大変なのは偶然であれ、恣意であれ、自分の頭の中の言葉が全てエスペラント語になった子どものほうだと思う。近所の他の子どもと遊ぶ時など、エスペラント語が第一言語の子どもは、恐らくまず周囲で話されている言葉を「勉強」しなければならないだろう。両親は子どもをエスペラント語を話す人の集会に参加させたり、エスペランティストを家に泊めたりして子どもの言語能力の向上や維持に努めるのであろうが、それって結局「親の心子知らず、子の心親知らず」になり、子どもがグレてしまうのではないかと考えてしまう(その上、はたしてグレた子どもはグレた子どもの共同体に参画できるのかどうかも怪しい)。

育児に関する机上の想像はどうあれ、ここでクローズアップされている人たちはエスペラント語が母語であることをネガティブには捉えていないようであるが、人々の想像を掻き立てる現象であることは間違いない。