欧州文芸フェス:理解の英語 Eŭropo Belarta Festo: porkomprena angla

「英語を控えたらもっと私たちは国際的になれるのかもしれない」

ヨーロッパ文芸フェスティバルのオープニングセレモニーで欧州連合代表部に日本とチェコ、エストニア、イタリアなどヨーロッパ各地から集まった作家や協力者たちを見て私はこう思った。

ところで、文学とは何か?これは一概に言えることは難しい。何故なら人によって文学感が違うからだ。例えば、冗談かもしれないが、イタリアのアルバレシュ人の共同体出身のカルミネ・アバーテ(Carmine Abate)さんは冗談好きなイタリア人らしい洒落た言い草で「文学とは愛について話している」と講演で喝破していた。私は文学者ではないので恐縮だが、この催事を通して文学というものは「作者と読者の垣根を越えて異なる認識や経験、空間をつなぎあわせる試み」ではないだろうかと考えた。

しかしながら、その目的を達成させる場合、非英文学に用いられる英語は国際的な、賞賛すべき道具から人と人の間の精神活動を阻害するための障害物に凋落してしまうのではないだろうか。会場全体ではともかく、ここでの「社内公用語」は講演ごとにばらばらだ。私が見た作家たちの講演の言語はほとんど日本語か作家の出身国の言語を用いており、むしろ英語で話すことすら場違いなことであるかのように感じられた(尤も国籍がバラバラの聴衆に呼びかける際やその人たちに説明が必要な場合は英語が使われたのはやむを得ないことだったと言えるけれども)。例えばアバーテさんの普段の会話はイタリア語であったが、ふるさとの話になると時折、自分の母語であるアルバレシュ語で「心の言葉」の重要性を訴えた。

また、仮に作家たちが自分の作品を英語で朗読していたらどうなっていたかと想像する。もしビアンカ・ペロヴァー(Bianca Bellová)さんが自分の作品”Jezero”を英語で読み上げたとしたらどうなっていただろうかと。恐らくは作者ペロヴァーさんのステンレス製ナイフのようなひんやりとした声の感覚は聴衆には伝わらなかったのではなかろうか。そしてそれは彼女が英語ではなく、自分が作品を書いたチェコ語で産み落としたものだからに違いない。そのようにしてチェコ語を通し、私たちはより一層、作者の内面世界と、やや暴力的にではあるが対面させられることが可能になる。その”Jezero”の世界はそれ自身を構築しているチェコ語からでしかアクセスできない場所だ。そうして、私たちは彼女たちの文学をより深く知ることができるようになるのである。

「国際理解のための英語! 」

このような文句が世間には踊っている。しかしながら、以上の話からすれば、英語は作者の原世界を理解するという作業において必要どころかむしろ邪魔である。そう考えると、英文学以外の文学の作品を内面的に理解するためには、その作品の原語以外では真に理解はできないのでは、という話になる。これには勿論、エスペラントも含まれる。

しかしながら、エスペラントの場合は英語とは言語の質が違う。どちらが作家の母語の表現をより柔軟に受け止められるかを考えたとき、英語のそれはエスペラントのそれにはるかに及ばない。それは人工言語故の特性だと思う。英語をしゃべるとき、英語で表現するときはアングロ・サクソンの歴史の中で形成されてきた表現や語法を使わなければならない。もちろん、エスペラントにも一定に形成されてきたフォームが存在する。ただし、エスペラントの場合、表現や文の組み立て方は多くの場合、使用者の第一言語のルールに従うことになる。それはすなわち、100%ではないものの作家の母語で作られた作品のイメージをより強く表現出来ることを意味する。作者の直接の精神世界ではないにしろ、よりしなやかに作者の母語感覚に迫ることができる。

このイベントでは優秀な翻訳者陣のガイドにより、作者たちの世界に日本語という土に塗れた足で踏み入れることができた。それは大変素晴らしい経験だった。何故なら日本語で作者の言語世界に入って行けたのだから!

会場の外に出て、夜の住宅街を歩いていく。駅前に出て、東京の喧騒の中に身を置く。電車の中では英会話の広告が私たち乗客にしょっちゅう「英語が話せないとダメですよ」と暗号を送ってくる。──はて、なぜ私たちは英語を勉強しないといけなかったのだろうか?

日本では日々、英語の重要性が強調されすぎている。このことを考えると私たちは国際理解、異文化理解、相互理解のための英語の影で、本当は目にしなければならない、理解しなければならない大切なものに気づかずにいるのではないだろうか、という疑念に囚われる。英語を控えたらもっと私たちは国際的になれるのかもしれない。英語に頼るのをやめればもっと文学がおもしろくなるのかもしれない。それを感覚的に知るためにはエスペラントも重要な要素となりうるのではないだろうか。

携帯のアプリに通知が届いた。何かメッセージが来たようだ。アメリカ人の友達からだった。
「Saluton!」と。

(S)

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